人間の物欲には限りがありません。現代の私たちは、着る服や食べ物、欲しいと思ったもののほとんどを手に入れることができます。 なぜそれに満足できず、不幸だと感じてしまうのでしょうか?
答えは簡単、誰でも知っているはずです。人間は願いがかなった瞬間に「慣れ」てしまうのです。「慣れ」だんだん「当たり前」のもとのとなり、「当たり前」は最終的に「飽き」てしまうのです。
買ったばかりの服、初めて切るときのワクワク感はたまりません、でも、5回も着ると慣れてしまい、10回も着るともはやその服は新しいものではなく、「当たり前に」クローゼットにあるものとなってしまいます。50回も着れば「飽き」てしまうかも知れません。やっと手に入れたお気に入りの服でも、その輝きは「慣れ」→「当たり前」→「飽き」という否定に行きつき、最終的にはつまらない、いらないものになってしまうのです。
自分の願いは叶っているのに、「飽き」のメカニズムがあるせいで、叶った願いに不満が募り、不幸を感じてしまうのです。
このメカニズムを逆手に取れば、「慣れ」さえしなければ、叶った願いに浸り続け、幸せなままでいられるとはいえないでしょうか?手に入れたものに飽きずに満足し続けることができれば、新しいものが増えることはないわけです。
しかし、「慣れ」のメカニズムはとてつもなく強力で、大量の服を手に入れても「着ていく服がない」とつぶやき、情熱をもって打ち込んでいた仕事にだんだんと喜びを見出せなくなり、整形手術で美しくなった顔に飽きてしまい更なる手術を繰り返す。一度は愛しあった二人に別れが訪れるのも、「慣れ」→「飽き」のメカニズムのせいです。
小さい女の子にガラス玉の指輪を上げると、目を輝かせて喜びます。いつかおもちゃの指輪に飽き、大人になるにつれて、より高価な指輪でなければ満足しないようになっていきます。でも、どれだけ高価な指輪を手に入れたところで、飽きないということはありません。世界で一つだけの何カラットもあるダイヤの指輪を手に入れても、いずれ飽きてしまうのです。
オリンピックで金メダルを取っても、宝くじで何十億円が当たっても、その喜びが一生続くわけではありません。しかも、その喜びでさえも、オリンピックの金メダルが、県大会の優勝の100倍うれしいかというとそうではありません。人の感情はどこまで行ってもたかが知れていますます。モノの価格には限界がありませんが、人の感情には限界があるのです。どれだけ高価なものを手にいてれも満足できないのは、モノを手に入れたときの喜びが、自分が感じている小さな喜びと大差ないのです。
これは、モノがあふれる現代においては厄介な感情ですが、人がどんな困難な状況に陥ったとしても、それに打ち勝ち、再び立ち上がって前に進み続けるために重要な仕組みです。どんな辛いことや悲しいことを経験しても、いつしか時が癒してくれるのと同じです。
持っているものに慣れてしまうと、刺激を感じられなくなります。新しい刺激を作り出すためには、刺激を変えるか、増やすか、無くすしかありません。これをものに当てはめると、「変える」=「新しいものに買い替える」、「増やす」=「より高価なものに買い替える」、「無くす」=「捨てる」ということになります。
大抵の場合、人は「新しい」ものや「より高価な」ものに買い替えるという行動をとります。ここで一緒に「捨てる」という行動をとることができれば、モノはたまっていかないのですが、「まだ使えるから…」とか「せっかく買ったものだから」という理由で、「飽きた」物を捨てることができないのです。
「飽き」るのに捨てられない、この二つの感情をいかにコントロールしていくかが、モノを減らすことへの第一歩となっていきます。