レートの上下に、一喜一憂していませんか?
幸せになりたいと思えば思うほど、
幸せはあなたから遠ざかっていきます。
幸せになりたいと思うと
幸せになれないというのが
幸せの本質です。
幸せとは何か?
愛する人と結婚すること、
大きな家を建てること、
高額な収入・・・
幸せは手に入れることができません。
家も、お金も手に入れたときの喜びは、
時と共に移ろい、やがて消え去っていきます。
そのときあなたの心に残されたものは何でしょう?
それは、更なる欲望です。
大きな家を立てることができたら幸せでしょうか?
もちろん幸せでしょう。
しかし、大きな家は、コストも大きくなります。
大きくなったコストを負担するためには、
さらにお金を稼ぎ続けなければなりません。
子どもにクリスマスプレゼントをあげたことはありますか?
プレゼントをもらった子どもはとても喜んでくれます。
しかし、どれくらいの期間喜んでくれるでしょう?
1週間? 3日?
もしかすると翌日にはもう
プレゼントに見向きもしないなんてことも・・・
だからといって、プレゼントが嬉しくなかったわけではありません。
物をもらった時に確かに感じた幸せが
時間と共に消えていっただけことです。
もしかすると、もう次のプレゼントをあれこれ考えているかもしれません。
何かを欲しいと思う心には、
「手に入れたからそれで満足」というゴールはないようです。
常にそれ以上のものを求め続けます。
何かを手に入れると、
そのときはとても幸せな気持ちになりますが、
その気持ちは決して長続きせず、
すぐに次のものが欲しくなってしまいます。
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これって、毎年成長し続けることが前提になっている
ということは、資本主義の世界では、
みんなが幸せになることはできないのかもしれません。
幸せとは満足することです。
これ以上望むものはないと心底感じることができたとき、
あなたの心は幸せに満たされることでしょう。
幸せとは、感情です。
あくまでも心で「感じる」ものです。
今、自分が持っているもの
今、自分が囲まれているものに幸せを感じることが幸せの本質です。
だから「○○になりたい」とか、
「○○を手に入れたら」という考え方では、
いつまでも幸せにはなません。
幸せとは、自分が持っているもの対して感じるものです。
ですから、自分が持っているものに満足が感じられないい間は、
何を手に入れても幸せにはなれません。
何かを手に入れたら幸せだろう・・・
と考えるよりも、
今手にしているものを失ったら不幸になる・・・
と考えることによって、
あなたの発想を転換することができるのではないでしょうか?
病気になったときほど、
普段の健康のありがたみがわかりますよね。
これは何かを失ったときに、
それを手にしていたときの自分の幸せを噛みしめている状態です。
(不幸を味わうからこそ感じられる、幸せというものの面白い側面です。)
「幸せを失う」→「幸せだったことに気づく」というプロセスを
「幸せだったことに気づく」を先にしてみましょう。
全ては当たり前のようでいて、
本当は当たり前のことじゃないかも知れません。
感謝の心を忘れなければ、幸せは続いていきます。
当たり前のことを当たり前ではないと気づくことができれば、
いつまでも幸せを感じられるようになります。
仕事があって当たり前→もっと給料をもらいたい。
家があるのは当たり前→もっと豪華な家が欲しい。
こんな思考の先に本当に幸せは訪れるでしょうか?
今当たり前ではないことに気づくこと、
そして、それらに感謝すること。
幸せは誰かから与えられるものではありません。
ましてや、何かを手に入れたから得られるものでもありません。
幸せは自分で感じるものです。