判決では、佑美さんが残した遺書について、
「自死を決意した主たる原因が何であるか、具体的に特定することは極めて困難。自殺の原因がいじめであると認定することはできない」としたそうです。
原告側は、佑美さんが無視され続けたり、部活で「うざい」と言われたりしたとも主張したが、判決は「自死をも決意しなければならないほどの行為を受けていたとは認められない」などと退けました。
判決後の記者会見で、父親は「いじめは複合的な要素が大きく、コップの水がたまって最後の一滴であふれて自殺することがあると思う。裁判所は、その一滴をとらえて死ぬほどのいじめではない、とした」と述べ、無念さをにじませていました。
直接的な因果関係が認められない場合は,どんなひどいいじめを受けていようと,そのいじめが原因とは認定されないようです。
滋賀県のいじめによる自殺事件についても,様々な構造的問題が浮き彫りになってきています。
教育関係者は,いくらバッシングをされようとも,公務員としての地位を失いたくありませんから,「知らぬ存ぜぬ」でシラをきり通すことでしょう。
彼らにとって見れば,自分たちが裁判で有罪認定をされる可能性がゼロであることは分かりきっており,移り気なマスコミの熱が冷めれば,御の字なのです。
彼らはネットに晒されている加害者とされている少年たちをかばっているわけではなく,自己弁護に他なりません。
話がそれてしまいましたが,やはり,自殺は避けなければならないということです。
特に相手が憎ければ憎いほど自殺は避けるべきです。
加害者にされたことを日記に書き残し,物的な証拠を保存し,警察に被害届を出すべきです。(学校への訴えはダメです。ムダです。)
死人に口なし。
生きている加害者や,教育関係者は,口をそろえて,いじめが原因ではないということでしょう。
司法も,いじめが自殺の原因ではないと認定せざるを得ないでしょう。
絶対に死んではいけません。
逃げても構いませんが,死を選んではいけません。
自殺をしても,加害者を喜ばすだけです。