「家事育児は何故大変なのか」
それは、完璧な家事育児を求めているからなんじゃないかなと思う。
寝不足で疲れがとれない
自分の時間が取れない
がんばってもだれにも理解してもらえない
こんなことを思いながら世の中の主夫(主婦)は家事育児に向き合っているのではなかろうか?
そんな気持ちで家事育児をしていたら、辛くない?
「完璧」に意味はない
家事に限ったことではないけれど、完璧を目指すことにどれだけの価値があるのだろうか?何事にも完ぺきということはあり得ない。取り組んでいるときは完璧だと思っていても、後で振り返ると、あれもできた、これもできた、となんやかんやとやり残したことはあるものだ。完璧を目指すことに意味はない。むしろ画竜点睛を欠くくらいがちょうどいい。完璧を目指すと、自分も家族も追い詰めてしまう。だったら、100点よりも80点くらいを目標にして、できない部分は仕方ないな、くらいの軽い気持ちで受け止めればよい。
とかく日本人は100点を目指してしまいがち。予め高い目標を設定しすぎると、自分で自分の首を絞めることになる。
でもはっきり言って片付けなくても服は服だし、困ることはない。むしろ片付ける手間を他のことに回せて、家事を多少なりとも早く終わらせることができる。
このように完璧を求めると非効率になることが多いのだ。
人はそんなに優秀じゃない
また人は全てを完璧にやれるほど優秀ではない。どこかを完璧にすれば別のどこかが疎かになって80%にすらならない。それでは何の意味もないし、疲れて潰れてしまう可能性だってある。
人は80%を目指すくらいでちょうど良いんだ。
家事も育児も諦めてからが本当のスタート
核家族が当たり前でワンオペ育児(家事)が常態化している現代では、まずシュフが真っ先にすることは「諦めること」である。
家事も育児も挙げていけばきりがないほど、毎日やることがある。そしてシュフは役割を全うするように家事育児をする。でも今まで数人がかりでやっていたことを1人でやるのはどう考えても無理。だからこそ誰かがやらなければいけない。…という考えを一度捨てるのが現代のシュフのまずやるべきことなんじゃないか?
「シュフという役割」を全うすることを諦める
要するに「シュフという役割」を全うすることを諦めるのである。だって一人じゃ無理があるんだもの、できなくても仕方ないよね…という感じで。
こう思えるようになると家事も育児も大変ではなくなる。何故ならしなくてはいけないものから、できなくても良いのになるからだ。
子供が泣き出しでも少しくらい放っておいたって良いじゃない。すぐなだめないからって子供が病気になるわけじゃない。
料理が一品少なくても良いじゃない。その分米を多めに炊いて量を増やせば良いよ。
掃除が出来なくても良いじゃない。一日二日掃除しなくても即にはゴミ屋敷ならないよ。
そうやって全てのシュフは自分に甘くなれば良い。
パートナーが家事育児に参加してくれないって言っても、パートナーには仕事という役割があるのだから参加できなくても仕方ない部分がある。でもそうならシュフはシュフで役割を完璧に全うできなくても仕方ないよねって話。
完璧を目指さず、むしろ諦めることこそが現代のシュフには必須なのだ